
助川ダンス教室について
助川ダンス教室は、東京都品川区で60年以上の歴史をもつ社交ダンス(ボールルームダンス/ソシアルダンス)スクールです。助川ダンス教室では 「ダンスを楽しく、やさしく、わかりやすく」をモットーとしてレッスンを行っています。趣味として軽くダンスを楽しみたい方から、本格的に踊ってみたい方まで、初心者の方やご年配者の方でも楽しみながら社交ダンスを踊ることを身に付けていただける幅広い内容のレッスンをご用意しております。 ダンスは自然に無理なく全身の筋肉を使うので、楽しみながら、いつの間にか正しい姿勢や美しいプロポーションを得られるだけでなく、足腰が鍛えられ、健康維持、体力増進になります。 当教室では都内でも有数の広さを誇る約60坪の大きなフロアで、のびのびと気持ちよくダンスができます。東急池上線の戸越銀座駅から徒歩3分、都営地下鉄浅草線の戸越駅から徒歩7分と通いやすい環境でご近所の方だけでなく、都内各所や神奈川方面からのお客様にも多数通っていただいております。 スタッフ一同皆様のお越しを心からお待ちしています!
フロア紹介
フロアーには五反田時代の教室で使用していた100年は使用できる高級桜材のフロアを移築し、全フロアー12個のスピーカーで高音質な音楽を堪能しながらレッスンを受けていただけます。
移築したこだわりのダンスフロアは足腰に負担が少なく踊りやすいという定評があり、ご年配の方で足腰への負担が気になる方でも疲れにくく安心してレッスンを受けられると好評です。世界チャンピオン等の数々のダンサーや多くの海外コーチが来日の際には日本での教授場所として使用していました。

フロアを中央で仕切れるカーテンが備え付けてありますので、フロアレンタルや、少人数でのグループレッスンの際には半個室空間のプライベート空間としてご利用いただくことが可能です。

教室内にカフェをイメージしたイスとテーブルを備えた休憩スペースがありますので、レッスンの前後の時間もゆったりと過ごしていただくことができます。同一フロア内に男女別更衣室、男女別トイレを備えております。

半地下空間の教室は1面に窓があり明るい印象の一方、3方が壁に囲まれているため、断熱性や音響効果に優れています。またコロナ禍での設計だったため換気設備には特に気を配り空間に対して十分余裕のある換気設備を備えています。営業中は常に自動換気により吸気口より新鮮な空気を取り入れ換気扇で入れ替えを行っておりますので安心してご利用いただくことができます。
フロアレンタルについて
フロアレンタルを受付しております。貸切の他、フロア半面でのご利用も可能です。
基本的には1時間単位でのご利用で曜日、時間帯により多少料金が変動いたします。
ご希望のお客様はお気軽にEメールまたはお電話でお問い合わせください。
| 基本料金 半面:1時間 | 5,500円(税込み) |
| 基本料金 全面貸切:1時間 | 11,000円(税込み) |
助川ダンス教室の歴史について
1947年に故助川五郎により、西五反田に日比谷ダンス学園として産声を上げる。
1952年に東五反田に移転し助川ダンス教室と屋号を変更、1967年には株式会社になる。
ダンスの殿堂として5階建てのビルを建設。 助川五郎門下生として、毛塚睦雄(故人)、毛塚鉄雄、桜田哲也がおり、教室からは三枡良一、枡岡肇、毛塚道雄、本田季久など多くの全日本チャンピオンを輩出した。
1970年助川五郎死去にともない助川邦子が社長に就任。その後、助川友朗へと引き継がれている。
1995年にはクレアダンスクラブ(本部ドイツ)に加盟、日本本部となる。 ドイツを中心とした欧米各国のダンス教室を視察した際に、現地のダンス教室における特に初心者に対する教え方の違いに衝撃を受けた助川友朗の手により、クレアダンスクラブに加盟し、レッスンの考え方を輸入、グループレッスンを中心に実施している新たな教え方は多くの初心者の方から好評を得ており、現在まで改良を加えながら継続されている。
2020年9月に新たに現在地(東京都品川区平塚)戸越銀座商店街近くへ移転する。助川ダンス教室は、海外とのつながりも多く、プロの世界チャンピオンだけではなく、多数の有名外国人コーチが日本でのレッスンスペースとして当教室のフロアーを選んでいる。



創始者:助川 五郎
1911年北海道で生まれる。
1934年、立教大学在学中に高田馬場にダンス教室を開設、ダンス禁止令が出る1940年まで続く。
1946年に日本社交舞踏教師協会設立に参画、同時に日本全国にいる助川門下生のための技術団体であるダンシング・ブラザーズ(D. B)を旗揚げ、人材の育成、ダンス界の発展に情熱の限りを傾けた。全日本戦初代チャンピオン、毛塚睦男、三枡良一をはじめ、東利栄、若林正雄、枡岡肇など、彼を慕って集まってきた選手は枚挙に暇がない。
1955年、周りの反対を押し切り、英国から当時、世界で最も有名な指導者の一人であったスクリブナー組を招聘。資金の手立て、会場の確保など、持ち前のねばり腰と実行力で難題を突破していった。スクリブナー招聘は日本のダンスに世界への扉を開かせた。
1962年には豪州メルボルンで開催された世界選手権の日本人代表団に初の日本人審査員として参加する。世界ダンス界の要人としっかり親交を結んできた後、世界選手権の日本開催を夢見、その会場は「日本武道館」しかないと考え、当時難攻不落と思われた日本武道館を落とす。
1969年に、助川が大会委員長となり、世界27カ国が参加した世界選手権を日本武道館にて開催した。大会総裁には、以前から助川ダンス教室に習いにいらしていた関係で、三笠宮崇仁親王殿下にご就任いただいた。
世界選手権大成功の後、翌1970年6月29日、僅か2ヶ月の闘病で逝った。 比類なき情熱をダンス界の発展に人生を注いだ男だった。

